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大阪落語への招待(8)落語とオペラ・歌舞伎

 6月15日、「大阪落語への招待」8回目の授業がありました。

 この日のテーマは「落語とオペラ・歌舞伎」、講師は桂春雨さんです。

 落語はお芝居と非常にかかわりが深く、オペラや歌舞伎・文楽に影響をうけているというお話です。

 落語の「死神」は、1850年のイタリアオペラの戯曲が落語になったんだそうです。ベネチアの貧乏な靴直しクリスピーノが主人公のお話で、オペラでは妖精のかっこうをした女の子の死神がでてくるが、落語では男の死神がでてきます。

 今から100年以上前のことになるのでしょうか、尾上菊五郎がオペラを元に歌舞伎「死神」をつくり、それを三遊亭圓朝が落語にしたと言われているとのことです。

 また、オペラから落語をつくり、それが歌舞伎になった例もあるそうです。落語から歌舞伎がつくられることってあるんですね~。

 そのオペラには、トスカとマリオカヴァラドッシという登場人物がいるのですが、落語になり明治24年に歌舞伎化されたときには、トスカは坂東須賀(ばんどう・すか)、マリオカヴァラドッシは狩野毬信(まりのぶ)という名前で演じられたとのこと。西洋の名前をうまく日本の名前に当てはめたんですね~。

 さて、落語とお芝居が密接な関係にあるという例として、今日の高座は「蔵丁稚」、ですがライブではなく笑福亭松鶴さんのCDを聴きます。まだロレツがまわっている頃(?)の松鶴さんのものです。

 「蔵丁稚」を聴くにあたって、先に「丁稚とは?」の講義です。
 
 時代は明治30年、6歳から4年間は義務教育をうけ、10歳から丁稚奉公したんだそうです。丁稚になると「○吉」という名前がつくんだそうで、例えば「定夫」なら「定吉」。17歳になると「手代(てだい)」になります。現代でいうなら正社員という身分のようなもの。名前は「定吉」から「定七」になるんだそうです。そして、22~23歳になると今でいう課長などの役付きの身分「番頭」になります。

 大和や近江の子は丁稚に入って出世する者が多く、大阪の子は出世する者が少なかったんだそうです。それは、大阪だと実家が近くにあって何かあればすぐに親に頼れる環境だったのでいつまでも甘えてしまうからなんだとか。

 賃金はどうだったのか? あの松下電器産業を築き上げた松下幸之助が10歳のときに丁稚奉公していたときの記述が残っているそうで、そこには、月に5銭の白銅貨をもらったとあるそうです。1銭で飴玉が一つ買えた時代だそうで、5銭は今の1000円ぐらいではないかとのこと。

 さて、「蔵丁稚」を聴きます。この噺には旦那と丁稚しかでてきません。丁稚がお使いに行った際に、お使いをさぼって芝居見物に。帰ってきてウソをつくが、それがばれて怒られ蔵に閉じ込められます。その蔵のなかで、さっきまで観ていた忠臣蔵四段目を演じる、という物語です。

 松鶴さんも6年間お茶屋さんに丁稚奉公していて、芝居小屋にお茶を納めに行ってはこっそり芝居を観ていたとか。「蔵丁稚」そのままという感じですね。

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